窯場で知り合った
おばちゃんと、
一時間以上も、
話し込んでしまった。
そのおばちゃんの話の中で、
「世の中、便利になりすぎ!
なんでもスイッチ一つで
出来てしまう」
というようなことを
話されていた。
自分の周りを見渡せば、
電気製品、車、携帯など
一昔前に比べ、身のまわりの
多くの事を、人間に代わって
こなしてくれる。
大変ありがたいことである。
そのありがたさを
だんだんと忘れているの
ではなかろうか?
たとえば、50年前、
たしか石原慎太郎が
芥川賞を取ったとき、
その賞金で洗濯機を
買ったらしい。
なぜかというと、
母がいつも冷たい水で、
手洗いで洗濯をやって
いるのを見て、
なんとか
「洗濯から解放してやりたい
と思ったらしい。
ほんの数十年ほど前までは、
冷たい冬の日でも、
洗濯は手洗いであった。
しかし、今なんかは
洗濯物を入れて、
スイッチ一つで、
乾燥までやってくれる
モノまで出てきている。
そのおばちゃんは、
「それで本当に良いのか
もしくは、
「簡単に出来過ぎてしまって
味気ない
おっしゃっておられた。
11月のある日曜日に、
名古屋の栄で、午後から
用事があった。
朝早く起きて、
車を使わずにどこまで、
歩いていけるか、
やってみた。
私はけっこう歩くのが好きで、
豊田の街あたりなら、
平気で歩いてしまう。
途中、喫茶店に寄ったり、
公園や川など、興味本位で
歩いたため、
昼ぐらいに、平針に着いた。
そこから、電車で栄まで
向かった。
歩いてみると、
いろんなモノが見えてくる。
明らかに、車で
通り過ぎるのと、
違う景色を見ることが
出来る。
クーラーをかけて、
窓を閉め切り、
ピューと通り
過ぎるだけでは、
見えるモノも見えない。
たとえば、
あれだけ開発が進んだ
赤池でも、路地に
入っていけば、
莇生の郷中辺りと
同じような風景を
見ることが出来た。
それに、風、空気、
空の色など、五感で
感じれることが
出来る。
カーステレオやクーラー
ガンガンの車内では、
感じられるはずがない。
我々の会の歩くことが
好きなTさん。
Tさんは、いろいろな
ところを歩いているみたいで、
この間も四国のお遍路さんを
やってこられた。
そのTさんが
「歩いていると、
何でなのかわからないが、
良いアイディアが
浮かぶんだよな〜
と、言っていた。
私も同じそのように、
思ったことが何度も
ある。
それがなんでなのか、
わからないが、
もしかすると五感が
さえてくるのかも
しれない。
便利な車から離れて、
自分の足を使って、
「歩く」ということは
いろんなメリットが
あるように思う。
便利さ、快適さから
離れ、たまには
自分のことを自分の
体を使ってこなすこと
て、これからけっこう
大事なのかもしれない。
PS
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